幕末維新政治史と儒教―熊本実学党の研究―
幕末維新政治史と儒教―熊本実学党の研究―
批准号:
19K00977
负责人:
池田 勇太
金额:
$1.75万
依托单位:
依托单位国家:
日本
项目类别:
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
财政年份:
2019
资助国家:
日本
项目状态:
已结题
起止时间:
2019-04-01 至 2024-03-31
中文摘要
2022年度は、佐賀県立図書館にて「千住西亭文書」を閲覧し熊本藩関係者の書簡につき調査を行った。「千住西亭文書」は個人所蔵の史料であるが、佐賀県立図書館で目録作成とマイクロフィルム撮影を行い、その紙焼きを公開していることがわかったため調査が可能となった。千住西亭は通称を大之助といい、佐賀藩主鍋島直正の側近を長年にわたり務めた人物である。天保8年(1837)より3年間熊本藩に遊学した関係もあり、熊本藩が佐賀藩と交渉するさいの窓口になったと考えられる。熊本実学党の元田永孚も弘化元年(1844)に佐賀藩に遊歴したさい千住を訪れている。熊本実学党関係者では横井小楠・下津休也や荘村助右衛門・米田虎之助などの書簡があり、交友関係が裏付けられた。ただし、千住は学問的には木下真太郎と親しかったと考えられる。木下の書簡からは、千住が塩谷宕陰ともつながりを持つことがわかり、千住が江戸における昌平黌系の儒者と親しかったことがわかった。なお下津の書簡は熊本での千住との交友の折に交わした礼状であり、荘村の書簡も熊本での面会約束に関するもの、米田の書簡は、神葬祭に関する教示を佐賀藩に仰ぐものや細川護久に嫁いだ鍋島直正の娘宏姫に関係するものだった。また、前年度に引き続き小河一敏文書・『筑紫衣』の翻刻作業を進めた。小河一敏文書では、熊本藩士との交際でも、阿蘇惟治・上野堅五ら実学党と時期によっては対立する存在との交友が書簡から見られた。阿蘇との関係では、岡藩と阿蘇神社の距離が比較的近いこともあって、両者はその中間点で待ち合わせて面会していた模様や、『古史伝』の貸借をしていたことなども判明した。『筑紫衣』では長岡監物の家臣の視点から長岡の日常が書かれており、実学党の首領である長岡がその学問を日常的に実践していた様子がうかがえる。
英文摘要
2022年度は、佐賀県立図書館にて「千住西亭文書」を閲覧し熊本藩関係者の書簡につき調査を行った。「千住西亭文書」は個人所蔵の史料であるが、佐賀県立図書館で目録作成とマイクロフィルム撮影を行い、その紙焼きを公開していることがわかったため調査が可能となった。千住西亭は通称を大之助といい、佐賀藩主鍋島直正の側近を長年にわたり務めた人物である。天保8年(1837)より3年間熊本藩に遊学した関係もあり、熊本藩が佐賀藩と交渉するさいの窓口になったと考えられる。熊本実学党の元田永孚も弘化元年(1844)に佐賀藩に遊歴したさい千住を訪れている。熊本実学党関係者では横井小楠・下津休也や荘村助右衛門・米田虎之助などの書簡があり、交友関係が裏付けられた。ただし、千住は学問的には木下真太郎と親しかったと考えられる。木下の書簡からは、千住が塩谷宕陰ともつながりを持つことがわかり、千住が江戸における昌平黌系の儒者と親しかったことがわかった。なお下津の書簡は熊本での千住との交友の折に交わした礼状であり、荘村の書簡も熊本での面会約束に関するもの、米田の書簡は、神葬祭に関する教示を佐賀藩に仰ぐものや細川護久に嫁いだ鍋島直正の娘宏姫に関係するものだった。また、前年度に引き続き小河一敏文書・『筑紫衣』の翻刻作業を進めた。小河一敏文書では、熊本藩士との交際でも、阿蘇惟治・上野堅五ら実学党と時期によっては対立する存在との交友が書簡から見られた。阿蘇との関係では、岡藩と阿蘇神社の距離が比較的近いこともあって、両者はその中間点で待ち合わせて面会していた模様や、『古史伝』の貸借をしていたことなども判明した。『筑紫衣』では長岡監物の家臣の視点から長岡の日常が書かれており、実学党の首領である長岡がその学問を日常的に実践していた様子がうかがえる。
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