宗祇の研究(環境・ネットワークから宗祇の謎を解明する)
宗祇の研究(環境・ネットワークから宗祇の謎を解明する)
批准号:
20902001
负责人:
秋定 弥生
金额:
$0.31万
依托单位:
依托单位国家:
日本
项目类别:
Grant-in-Aid for Encouragement of Scientists
财政年份:
2008
资助国家:
日本
项目状态:
已结题
起止时间:
2008 至 --
中文摘要
I.. 室町幕府文書類を調査し、宗祇周辺の環境を探る。この観点から、『飯尾文書』に見る飯尾氏の近江の知行地と景徐周麟の言う「江東の地」との関連の有無を、現地調査に試みた。私は、滋賀県蒲生郡竜王町の善光寺川の東、須恵の東あたりに飯尾氏の知行地があったと考えている。その地は、中世の城郭である林館などのあった地である。宗祇の故郷と言われる「江東の地」との関係は、今後にさらなる調査の必要がある。II. 宗祇周辺の人々について調査することによって、宗祇像を立ち上がらせる。III.宗祇の継承と再興の精神を周辺の人物交流の中に探る亘II・IIIの観点から、宗祇の「種玉庵」の「種玉」について、既発表の拙稿で、横川景三の『補庵京華続集』に見る「玉成景種」と相国寺常徳院桂芳軒の庵主「堯夫承勲」の室の名であろうと結論づけていたが、この度の奨励研究による調査で、景徐周麟の『鹿苑日録』の記事の中に「玉成景種」の名が見え、宗祇との関係が考えられた。また、『実隆公記』には、宗祇の名は、「宗祇法師」と記され、「種玉庵」は見えないのであるが、一カ所、ちょうど、『鹿苑日録』や『補庵京華続集』の記事と同じ頃の記事の中に、「種玉」の名が記されている箇所がある。この「種玉」は参賀の人々を記した中に見え、五山僧たちの名と並列されて記されている。この「種玉」は、宗祇のことではなく、「堯夫承勲」の名である可能性がある。とすれば、宗祇の種玉庵は、やはり、「玉成景種」や「堯夫承勲」の室の名を継承し、再興したものといえる。この度の研究によって、そのように確信できる事柄が見いだせた。以上、研究目的と研究方法I・II・IIIによって、宗祇の周辺に見いだせた、ごく小さな事柄の発見ではあるが、今までに触れられていないことである点と、それによって宗祇と宗祇周辺についての新たな観点を示し得る点が、有益であると考える。今後の研究に繋げて行きたいと考える。
英文摘要
I.. 室町幕府文書類を調査し、宗祇周辺の環境を探る。この観点から、『飯尾文書』に見る飯尾氏の近江の知行地と景徐周麟の言う「江東の地」との関連の有無を、現地調査に試みた。私は、滋賀県蒲生郡竜王町の善光寺川の東、須恵の東あたりに飯尾氏の知行地があったと考えている。その地は、中世の城郭である林館などのあった地である。宗祇の故郷と言われる「江東の地」との関係は、今後にさらなる調査の必要がある。II. 宗祇周辺の人々について調査することによって、宗祇像を立ち上がらせる。III.宗祇の継承と再興の精神を周辺の人物交流の中に探る亘II・IIIの観点から、宗祇の「種玉庵」の「種玉」について、既発表の拙稿で、横川景三の『補庵京華続集』に見る「玉成景種」と相国寺常徳院桂芳軒の庵主「堯夫承勲」の室の名であろうと結論づけていたが、この度の奨励研究による調査で、景徐周麟の『鹿苑日録』の記事の中に「玉成景種」の名が見え、宗祇との関係が考えられた。また、『実隆公記』には、宗祇の名は、「宗祇法師」と記され、「種玉庵」は見えないのであるが、一カ所、ちょうど、『鹿苑日録』や『補庵京華続集』の記事と同じ頃の記事の中に、「種玉」の名が記されている箇所がある。この「種玉」は参賀の人々を記した中に見え、五山僧たちの名と並列されて記されている。この「種玉」は、宗祇のことではなく、「堯夫承勲」の名である可能性がある。とすれば、宗祇の種玉庵は、やはり、「玉成景種」や「堯夫承勲」の室の名を継承し、再興したものといえる。この度の研究によって、そのように確信できる事柄が見いだせた。以上、研究目的と研究方法I・II・IIIによって、宗祇の周辺に見いだせた、ごく小さな事柄の発見ではあるが、今までに触れられていないことである点と、それによって宗祇と宗祇周辺についての新たな観点を示し得る点が、有益であると考える。今後の研究に繋げて行きたいと考える。
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