日露戦後から大正期にかけてのメディア状況の変容・大衆の形成と小説の関係
日露戦後から大正期にかけてのメディア状況の変容・大衆の形成と小説の関係
批准号:
14710311
负责人:
渡邊 拓
金额:
$0.7万
依托单位国家:
日本
项目类别:
Grant-in-Aid for Young Scientists (B)
财政年份:
2002
资助国家:
日本
项目状态:
已结题
起止时间:
2002 至 2004
中文摘要
映画との関係で小説に現れた現象として最も見やすいものはドッペルゲンガーである。佐藤春夫の「指紋」はそういう作品である。佐藤には他にも映画との関係を明示している「或る女の幻想」という作品がある。この作品にはドッペルゲンガーは登場せず、問題となるのは、<私の知らない私>である。私の意識できない私、私の意識によるコントロール下にない私が、私を脅かす、という問題である。ドッペルゲンガーもこの問題系に包摂される下位項目とみなすことができると思われる。<私の知らない私>という問題には当然精神分析の問題も絡んで来るであろうが、映画との関係を明示した小説作品に特に共通して現れるテーマであるので、むしろ映画というメディアとの関係を考えておく必要がある。映画は基本的な性質として目の錯覚を利用したトリックでありながら、再現されるイメージは現実的であり、また編集によって、演じた俳優も意識しなかったようなもう一人の自己を立ち上げる。こうしたメディア的な特性が、上記のような問題への関心をもたらしたことは容易に想像され、谷崎潤一郎は「人面疽」にそうした俳優を描いてもいた。実際初期の映画では編集権が曖昧で映画の買い手が恣意的に編集を行ない、制作した側が把握できないようなものが上映されていた。近代文学の歴史が言文一致発生以来<内的人間>=<内的に一貫性を持つ私>を作り出してきたとするならば、映画との関係で気づかれた問題は小さなものではなかったと言える。
英文摘要
映画との関係で小説に現れた現象として最も見やすいものはドッペルゲンガーである。佐藤春夫の「指紋」はそういう作品である。佐藤には他にも映画との関係を明示している「或る女の幻想」という作品がある。この作品にはドッペルゲンガーは登場せず、問題となるのは、<私の知らない私>である。私の意識できない私、私の意識によるコントロール下にない私が、私を脅かす、という問題である。ドッペルゲンガーもこの問題系に包摂される下位項目とみなすことができると思われる。<私の知らない私>という問題には当然精神分析の問題も絡んで来るであろうが、映画との関係を明示した小説作品に特に共通して現れるテーマであるので、むしろ映画というメディアとの関係を考えておく必要がある。映画は基本的な性質として目の錯覚を利用したトリックでありながら、再現されるイメージは現実的であり、また編集によって、演じた俳優も意識しなかったようなもう一人の自己を立ち上げる。こうしたメディア的な特性が、上記のような問題への関心をもたらしたことは容易に想像され、谷崎潤一郎は「人面疽」にそうした俳優を描いてもいた。実際初期の映画では編集権が曖昧で映画の買い手が恣意的に編集を行ない、制作した側が把握できないようなものが上映されていた。近代文学の歴史が言文一致発生以来<内的人間>=<内的に一貫性を持つ私>を作り出してきたとするならば、映画との関係で気づかれた問題は小さなものではなかったと言える。
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