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ボスニア・ヘルツェゴヴィナ憲法の制定過程にみるハプスブルク帝国の「帝国性」

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ憲法の制定過程にみるハプスブルク帝国の「帝国性」
波黑宪法制定过程中看哈布斯堡帝国的“帝国本质”
批准号:
15J03820
负责人:
村上 亮
金额:
$1.58万
依托单位:
依托单位国家:
日本
项目类别:
Grant-in-Aid for JSPS Fellows
财政年份:
2015
资助国家:
日本
项目状态:
已结题
起止时间:
2015-04-24 至 2018-03-31

项目摘要

项目成果

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中文摘要
翻译
本研究課題に関する本年度の実績はおもに以下の3点である。第一は、ボスニア併合に至るまでのハプスブルク帝国内における動向を外国語論文にまとめたことである。筆者は昨年度、当時の共通財務大臣ブリアーンによる併合計画に着目し、彼の手になる併合に関する2つの覚書、ならびに併合前夜の帝国中枢における議論の内容をまとめた。本年はこの成果を大幅に加筆修正したうえで、併合までの経緯をドイツ語論文にまとめた。第二は、ボスニア憲法制定に至る過程の検討に進んだことである。具体的には、当時のオーストリア下院議員、ウィーン工科大学教授であったヨーゼフ・レートリヒの作成した「併合法」、「ボスニア憲法」の草案に関する所見書に着眼した。先行研究がレートリヒの役割についてはほとんど注目してこなかったことに鑑みつつ、彼の併合、ならびに「併合法」に関するレートリヒの意見、とりわけハンガリーの要求に対する否定的態度とその背景の解明を試みた。さらにボスニア憲法草案に対する所見から、彼のボスニア自治に関する考えを浮かびあがらせることにも努めた。もっともこれについては、史資料の追加収集や分析を進め、2018年度中には学術雑誌に投稿する。第三は、ハプスブルク帝国によるボスニア統治を同時代の植民地支配に位置づける試みである。ハプスブルクのボスニア支配は同時代においては一定の評価を得ていたことは近年までほとんど知られていなかった。しかし日本は台湾を獲得した後、後藤新平(台湾総督府民政長官)や新渡戸稲造(殖産局長)らがボスニアに向かい、統治の実態を調査していたのである。そのなかで筆者は、台湾総督府から森林政策の視察のために派遣された市島直治によって残された報告書を軸として、同時代日本人の視線からボスニア統治像の一端を検証した。今後は本年度におこなったサライェヴォにおける現地調査の結果を補いつつ、論文にまとめることを目指す。
英文摘要
本研究課題に関する本年度の実績はおもに以下の3点である。第一は、ボスニア併合に至るまでのハプスブルク帝国内における動向を外国語論文にまとめたことである。筆者は昨年度、当時の共通財務大臣ブリアーンによる併合計画に着目し、彼の手になる併合に関する2つの覚書、ならびに併合前夜の帝国中枢における議論の内容をまとめた。本年はこの成果を大幅に加筆修正したうえで、併合までの経緯をドイツ語論文にまとめた。第二は、ボスニア憲法制定に至る過程の検討に進んだことである。具体的には、当時のオーストリア下院議員、ウィーン工科大学教授であったヨーゼフ・レートリヒの作成した「併合法」、「ボスニア憲法」の草案に関する所見書に着眼した。先行研究がレートリヒの役割についてはほとんど注目してこなかったことに鑑みつつ、彼の併合、ならびに「併合法」に関するレートリヒの意見、とりわけハンガリーの要求に対する否定的態度とその背景の解明を試みた。さらにボスニア憲法草案に対する所見から、彼のボスニア自治に関する考えを浮かびあがらせることにも努めた。もっともこれについては、史資料の追加収集や分析を進め、2018年度中には学術雑誌に投稿する。第三は、ハプスブルク帝国によるボスニア統治を同時代の植民地支配に位置づける試みである。ハプスブルクのボスニア支配は同時代においては一定の評価を得ていたことは近年までほとんど知られていなかった。しかし日本は台湾を獲得した後、後藤新平(台湾総督府民政長官)や新渡戸稲造(殖産局長)らがボスニアに向かい、統治の実態を調査していたのである。そのなかで筆者は、台湾総督府から森林政策の視察のために派遣された市島直治によって残された報告書を軸として、同時代日本人の視線からボスニア統治像の一端を検証した。今後は本年度におこなったサライェヴォにおける現地調査の結果を補いつつ、論文にまとめることを目指す。
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科研奖励(0)
会议论文
DOI: --
发表时间: 2017
期刊:
影响因子: --
作者: [MURAKAMI, Ryo, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮]
通讯作者: 村上亮
「オーストリア=ハンガリー二重君主国による「最後通牒」(1914年7月23日)再考─F. ヴィースナーの『覚書』にみる開戦決断の背景─」
“重新考虑奥匈帝国双重君主制的‘最后通牒’(1914 年 7 月 23 日)——F. 威斯纳备忘录中决定发动战争的背景”
DOI: --
发表时间: 2017
期刊: 『境界研究』
影响因子: --
作者: [MURAKAMI, Ryo, 村上亮]
通讯作者: 村上亮
『ハプスブルクの「植民地」統治―ボスニア支配にみる王朝帝国の諸相―』
“哈布斯堡的“殖民”统治:波斯尼亚统治中的王朝帝国的各个方面”
DOI: --
发表时间: 2017
期刊:
影响因子: --
作者: [MURAKAMI, Ryo, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮, 村上亮]
通讯作者: 村上亮
Die Annexion von Bosnien-Herzegowina und Istvan Burian
波斯尼亚和黑塞哥维那和伊斯特万布里安的吞并
DOI: --
发表时间: 2017
期刊: Prague Papers on the History of International Relations
影响因子: --
作者: [MURAKAMI, Ryo]
通讯作者: Ryo
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